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黄檗宗 天照山 万福寺
〒563-0032
大阪府池田市石橋3-10-5
TEL072-761-9211
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万福寺の紹介

■万福寺(まんぷくじ)
阪急石橋駅北口徒歩10分、大阪大学豊中キャンパス裏門通学路近くにあり、京都宇治黄檗山萬福寺を本山とする寺院です。開山は「慧極禅師」でその後、再建が繰り返され平成元年に16代広仁和尚により現在の建物になりました。
万福寺概観
■黄檗宗(おうばくしゅう)
日本三大禅宗のひとつ、黄檗宗は中国・明時代の高僧隠元隆禅師が、 1654年(江戸時代)に中国福建省から日本に渡られ、広めた禅宗の一派です。四代将軍家綱公より許可を得て、京都府宇治市に黄檗山萬福寺を開きお釈迦様よりの正しい教えを、今日にいたるまで伝え続けています。禅宗は「仏心宗」とも呼ばれておりますが、これは禅宗が文字や経典に たよらず、仏の心「正法(しょうぼう)」を師匠から弟子へ直接伝えていくことを宗旨としているからです。
お釈迦様から隠元禅師にまで、「一器の水を一器へ移すがごとく」伝法された一流の正法を教えとし、我々に本来そなわる純粋な人間性「仏性(ぶっしょう)」を、坐禅・公案・読経・作務などの修行を通して、自覚(見性)することを旨とする宗派です。

■歴史
日本では、江戸時代初期の1654年(承応3年)に明末清初の中国から招聘された中国臨済宗の隠元隆gにより始まる。1740年(元文5年)に第14代住持に和僧の龍統元棟が晋山するまでは伝統的に中国から住職を招聘してきた。当初、正統派の臨済禅を伝えるという意味で「臨済正宗」や「臨済禅宗黄檗派」を名乗っていた。宗風は、明時代の中国禅の特色である華厳、天台、浄土等の諸宗を反映したいわゆる混淆禅の姿を伝えている。幕府の外護を背景として、大名達の支援を得て、鉄眼道光らに代表される社会事業などを通じて民間の教化にも努めたため、次第に教勢が拡大した。萬福寺の塔頭は33ヵ院に及び、1745年の「末寺帳」には、1043もの末寺が書き上げられている。1874年(明治7年)、明治政府教部省が禅宗を臨済、曹洞の二宗と定めたため、強引に「臨済宗黄檗派」(りんざいしゅうおうばくは)に改称させられたが、1876年(明治9年)、黄檗宗として正式に禅宗の一宗として独立することとなった。

隠元禅師
■隠元禅師
隠元禅師は1592年中国の福建省でお生まれになりました。29歳にして出家を志し、黄檗山萬福寺の費隠通容禅師より臨済宗の正伝を受け継ぎ、46歳にして黄檗山萬福寺の住職となられました。当時の日本では、禅宗の教えが衰退していく状況を案じていた長崎・興福寺の三代目唐僧・逸然が、隠元禅師へ数回にわたり日本への来日を懇願する書状を送られました。その熱意に心を打たれた隠元禅師は、63歳の時に日本来日を決断。弟子20名と仏師・絵師らとともに承応3年(1654年)、長崎・興福寺へ来日を果たされました。当初、隠元禅師は3年で帰国するつもりであられたと伝えられておりますが、後水尾法皇や徳川家綱公をはじめ、道俗を超えて多くの帰依者の崇敬を得られ、徳川幕府より現在の京都府宇治市に約9万坪の寺領を賜り、中国の萬福寺に模して寛文元年(1661年)黄檗山萬福寺を創建されました。以来、82歳でお亡くなりになるまで臨済正宗の大法を広められ、特に隠元禅師が記された「黄檗清規」は、それまで衰退しかかっていた日本の禅宗復興に多大な影響を与えた功績から、「日本禅宗中興の祖師」と称される所以であります。また、隠元禅師が日本に伝えた文化も美術・建築・音楽・史学・煎茶・普茶料理(中国風精進料理)など、多岐にわたり当時の江戸文化に多大な影響を及ぼしました。その他、身近なところではインゲン豆・西瓜・レンコン・孟宗竹・木魚も隠元禅師が伝えられたものであります。
 

万福寺:仏像紹介

千手観音菩薩立像
千手観音菩薩立像
正面真中にお祀りしてあるのは、京都清水寺の観音像と同木同作と伝わる千手観音菩薩像です。
褄からげの地蔵
褄からげの地蔵
正面右側の【褄からげの地蔵】は美女丸の念持仏とされております。摂津国多田を治めていた源満仲は、息子の一人美女丸(美丈丸と表記することもある)を出家させようと考え彼を近隣の中山寺に預けていた。 しかし美女丸は武術を好んで仏道の修行を怠ったため、怒った満仲は郎等の藤原仲光に美女丸を殺すように命令した。仲光は主君の命令とはいえ美女丸を殺すに忍びず、美女丸とよく似たわが子幸寿丸を身代わりにして首をはね、満仲に差し出した。美女丸は改心して修行に励み、源賢という高僧になった。

阿弥陀仏立像
阿弥陀仏立像
普通、お寺の本尊様は正面にお祀りしてあるのが通例ですが、正面左側にお祀りしてある阿弥陀仏立像が本尊であります。室町時代の作と伝えられています。
開山慧極禅師
開山慧極禅師
位牌堂中央にお祀りしてある開山(このお寺を建てた和尚)で、慧極禅師といい万福寺を建てられました。

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